●魔法瓶市場は東南アジアから
この後、続々と魔法瓶製造会社が現れるようです
が、日本国内では高価であったためあまり売れず、
主な販売先は欧州の植民地であった
東南アジアであったそうです。
●大阪のガラス工業と魔法瓶
魔法瓶の製造は、そのほとんどが大阪で、その
ルーツでをたどれば大阪天満宮にある「大阪
ガラス発祥(はっしょう)の地」の石碑に刻ま
れてるようです。
1751年(宝暦元)に長崎商人が天満宮の鳥居
前にガラス工場を造り、これが大阪でのガラス工業
の始まりとされているようです。
この後大阪には多くのガラス職人が育ち、輸出港
も近く、多数の資材・部品の下請けも多かった
そうで、大正初めの魔法瓶誕生から量産へと導か
れていったそうです。
●戦時中の魔法瓶
昭和年10年代からは、第二次世界大戦に突入し、
その間でも魔法瓶製造は行われていったようです。
主に爆撃機や偵察機で使用された「航空魔法瓶」
や、金属不足のため外装を有田焼の磁器で作ら
れた魔法瓶も発見されているようです。
●戦後の魔法瓶開発
魔法瓶は、ガラス職人が「手吹き」という方法で
内瓶・外瓶を二重に成形し、その間にメッキを
施したうえで真空引きして「中瓶」が出来上がる
そうで、製品化するのは分業で外装ケースなど
を取り付けていた様です。
その「中瓶」の製造を自動化したのが、現在の
象印マホービンやダイヤモンド魔法瓶だった
そうです。1963年(昭和38)のことだそうで、
この画期的で、生産数も飛躍的に伸長し、
国内普への大きな原動力となった様です。
また1978年(昭和53)に
は、日本酸素(現サーモス)が、国産初の
高真空ステンレス魔法瓶(携帯用)を開発、
販売し、その後各社が参入し、魔法瓶はこの
ステンレス製で大きく変貌してゆくことになった
そうです。
また次回おたのしみに 峰不二子