コラム   【まほうびんの歴史】

 ●まほうびんのルーツは?


まほうびんの歴史  日本の魔法瓶を育てた人々


1873年(明治6)、イギリスの科学者は、金属容器

を二重壁とし、その両壁間の内部を真空にした

ところ断熱効果が認められたそうで、これが

真空容器による初めての放熱遮断実験だそう

です。

その後、ドイツの科学者によるガラス容器を使った

実験やフランスの物理学者による実験が行われた

ようです。


1892年(明治37)、ドイツで、初めて家庭用の

保温保冷器具として製品化し、「テルモス」と名付け

て売り出した。テルモスとは“熱”を意味するギリシア

語からきた言葉だそうで、公募で選ばれた商品名

だそうです。

その後、ドイツ、イギリス、を中心に魔法瓶は次第

に次第に工業化されていったようです。


●日本にやって来た魔法瓶


日本に魔法瓶が輸入されたのは1907年(明治40)

9月。


東京日本橋にあった「日本銃砲店」の広告に最初に

販売された記事が掲載されているようです。


国内初の新聞広告を出したのは金丸銃砲店(1908年

(明治41))、その後ドイツのTHERMOS社伊藤喜商店

などの広告も出され、国内での普及をめざしてきた

そうです。


国産第一号の魔法瓶が登場したのは、明治45年

(1912)。神戸高商店の日本電球会社が輸入品を

解体研究して、電球製造の際に用いる真空技術を

応用し完成させ、同年に「八木魔法器製作所」を設立

しているそうです。また、大阪江戸堀の瓶製造者も

魔法瓶製作を試みていたという説もあるようで、両者

の協力のもと安定した製品が初めて供給できるように

なったとも言われているようです。


魔法瓶の製造を試みたのは八木魔法器製作所

の他、二人の協力者の一人でもある(現・ダイヤ

モンド魔法瓶工業)、星印電明社(現・オルゴ)、

兔印中西魔法瓶製作所などがあるようです。



●「魔法瓶」の名付け親


1907年(明治40)10月22日付の東京「朝日

新聞」で東京帝国大学理学博士が記者との対談

で初めて「魔法瓶」と表現したそうです。



●国産化へ


日本で初めて魔法瓶の国産化に成功したのは、

日本電球会社であった。

1912年(明治45)電球の製造方法を応用し、

魔法瓶が輸入されて実にわずか5年でその製造

に成功したそうです。

翌年には独立し、「〇〇魔法瓶製作所」として

朝日新聞に国産品初の広告(1913年(大正

2))を出しているようです。


また次回おたのしみに  峰不二子


同じカテゴリー(プライベートお休み)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
コラム   【まほうびんの歴史】
    コメント(0)