●京都から江戸に伝わり花開いた文化
1603年に徳川家康が江戸に幕府を開いたことで
江戸時代が始まったようです。この頃は京の都は
天皇、江戸は徳川家とそれぞれの地で権力を二分
していたようですが、その後次第に徳川家が天皇
の皇位継承問題に介入するようになっていったの
だそうです。
1611年に後水尾天皇(ごみずのおてんのう)が
即位すると、徳川は1620年に家康の孫娘を嫁が
せ、後水尾天皇は度重なる徳川家の横暴に嫌気
がさし、幕府に一切連絡することなく、当時7歳だ
った興子内親王に天皇の座を上位してしまった
そうです。記録によると1629年11月8日の
出来事だったそうです。
「ひな祭り」 が江戸に伝わり、雛人形が大流行
するきっかけになったとされるのが、1629年に
京都御所で行われた盛大な 「ひな祭り」 という
ことのようです。後水尾天皇が我が娘のために
開催したものだったのだと思います。天皇を父に
持ち、母は徳川将軍家という血筋のようで、その
後のに、 「ひな祭り」 が大奥へ伝わり、さらに
江戸庶民へと広がっていったということも頷け
るようです。
「ひな祭り」 の風習を大奥に持ち込んだのは
春日局と言われていて、女の赤ちゃんの誕生を
祝う初節句の風習が加わり、徐々に3月3日
の桃の節句は女性のお祭りという考え方が
定着していったそうです。時期ははっきり
分からないようですが、江戸幕府は五節句
を公的な祝日として制定していったようです。
1700年代以降、江戸の町には雛人形を扱う
雛売りが登場したり、人形店が軒を連ねる雛市
が開かれ、大流行した様子が浮世絵にも残され
ているようですね。
● 「ひな祭り」 に登場する食べ物の意味
「ひな祭り」 に付き物の食べ物と言えば、真っ先
に思い浮かぶのが菱餅とひなあられだと思い
ます。菱餅は、一般的にはピンク、白、緑の三色
だそうですが、地域によっては二色だったり、五色
だったりするようです。菱という植物は池や沼地に
自生する水草で、繫殖力が高いことから子孫繁栄
の意味にも用いられ、昔から吉祥文様のモチーフ
や家紋などによく使われているようですが、その実
はクワイのような、味わいで栄養価が高く、血圧を
下げる効果もあると言われているかと思います。
赤(ピンク)、は桃を表していて魔除けの意味、白は
雪のイメージで菱の実を使い子孫繁栄・長寿・純
潔、緑は新緑を表し、ヨモギを使うことで増血効果
や魔除けの意味が含まれているそうですね。
ひなあられも日本全国で少しずつ違いがあるそう
ですが、 「ひな祭り」 には欠かせない食べ物の
ひとつだそうです。例えば、関東ではお米を使った
ポン菓子を使用した物が多く、関西では小さな
おかきを塩気のある味付けにした物が多いのだと
思います。菱餅と同様、赤、白、緑などカラフルに
色付けされ、やはり、それぞれにいろいろな意味が
込められているようですね。
「ひな祭り」 のご馳走の代表は 「ちらし寿司」 と
「はまぐりの汁」 と決まっているようですが、なぜ
でしょうか?
諸説あるそうですが、昔は春の訪れを感じる季節
になると、自然の恵みに感謝して自然の中で食事
をするという風習があったそうですね。
健康に、そして、桃の花はでんぶ、菜の花の錦糸卵
など、春らしい彩にもそれぞれ意味が込められてい
るそうです。
●我が子の無事な成長を願う親心はいつの時代も
変わらない
「ひな祭り」 の歴史を調べてみると、平安の昔から
貴族も一般人も“子ども無事に大きくなりますように、
健康で幸せになりますように”と願う親心は変わら
ないものだということが分かるかと思います。医療
が発達していなかった昔は、特に厄除けや神事に頼
ることが多かったと思われますが、お祓いの意味合い
が強かった 「ひな祭り」 も、江戸での流行によって
華やかなお祝いの儀式に変化していったようです。
三人官女や五人囃子が登場し、現代と同じような雛
人形の形態が確立されたのは江戸時代の後期と言
われいるようですが、最初に平安貴族の子女の間
で遊ばれていた頃から考えると1,000年もの歳月
をかけて変化してきたことになるそうです。1,200年
以上経っても無くなることなく、現代でもその意味合い
がしっかり受け継がれているのは 「ひな祭り」 に
まつわる全てのことに親の願いが込められている
からに違いないそうです。
●さいごに
「ひな祭り」 についての歴史を辿ってきましたね。
親御さんはどんな気持ちで雛人形を用意してくれた
のか、さらにその前の祖父・祖母、さらにその前・・・
とずっと続いてきた、子どもが健康で幸せになる
ことを願う親の気持ちは永遠のものだということが
分かりましたね。
ひとつひとつの意味を知ると今まで以上に 「ひな
祭り」 の重要さを感じることが出来るかと思い
ます。
また次回お楽しみに 峰不二子