コラム  パンの歴史

 ●世界中にあるパン

 パンは西洋だけでなく世界中に古くから存在する

そうで、インド料理で出てくるナン。中国の饅頭など

など。でも私たちがイメージするパンはやはり西洋

のパンだと思います。 

 ところで 『パン』 という単語。英語由来の言葉で

はないそうです。英語でパンは 「ブレッド」 だそう

ですが、実は 「パン」 という発音はポルトガルや

スペインといったラテン系の言葉のようです。

 戦国時代、多くの宣教師や商売人がポルトガル

やスペインからやってきて、パンも作っていたのだ

そうですが、日本にはまだ根付きが無かったそうで

す。日本人はパンよもやはりお米のゴハンだった

のだと思います。

 明治になって欧米の文化が怒涛のごとく流込ん

で来たそうですが、いまのように食事として一般に

食べるようになったのは太平洋戦争後といっていい

ようです。

●欧米におけるパン

 欧米では主食という考えはないと言われている

ようですが、やはりパンは食事の中心だそうです。

ブレッド&バター(パンとバター)という言葉は 

「生活のための仕事」 という意味のようです。

 コンパニオンとは宴会や旅行の付添人という

意味のようですが、語源的には 「一緒にパンを

食べる仲間」 という意味だそうです。

 カンパニー(会社)もコンパニオンと同じで 「一緒

にパンを分かち合う仲間」 という意味が語源のようです。

 フランス革命では主婦たちが 「パンをよこせ」 と

ベルサイユに行進デモをしたそうですが、これは

日本でいうところの米騒動なのでしょうか。
 
 ロシアではいまでも大切なお客様がきたときに、丸いパンと

塩で歓迎し、一緒に食事をするのはお互いに仲間である

という証だそうで、日本でいうところの同じ釜の飯を食

べた仲間というのと一緒のようです。

 欧米においてパンは、日本におけるコメ同様、やはり

特別な食べ物なのだと思います。

●日本人とパン  

 日本に西洋のパンが入ってきたのは、安土

桃山、つまり戦国時代のようです。彼らは数多くの

文化を日本に残していったのだそうです。

コンペイトウ、カステラ、ボーロといわれるお菓子

たち。いまや日本料理を代表するテンプラも西洋由来

だそうです。  

 食材でいえば中南米原産地でありながら、カボ

チャやトウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、は

日本に根付いたようですが、小麦粉があるにも

かかわらず、江戸時代にパンが日本人の食卓

に出てくることはなかったそうです。


 
明治になり木村屋がアンパンを発明。これが大

当たりして、やがていまでもあるジャムパンや

クリームパンも作られるようになったそうです。

パン食は主食というよりお菓子やおやつとして

日本に広がっていったようです。

それが決定的に変わったのが太平洋戦争の

敗戦で、敗戦直後に、日本は大変な食糧不足に

襲われ、さらに天候不良で農作物の収穫は落ち

込み政治家は 「このままでは日本の国民の1千

万人が飢えと病気で亡くなる」 とまでいうほど

だったそうです。

 ちなみに当時の日本人口は約7200万人だ

そうで、7人に一人が亡くなるかも

という大ピンチだったようです。

 ちょうどそのときアメリカは大豊作で小麦などが

余っていたそうで、アメリカとしては、戦争で米軍を

さんざん苦しめた日本人を親米化したいという思い

や、将来、日本をアメリカの農産物のお客にしてし

まおうという思いもあり、 「アメリカ小麦戦略」 を行

い、パンや乳製品をほとんど無償で日本に提供、学

校給食ではパンと牛乳(もしくは脱脂粉乳)を出し、

食べ物の欧米化を図ったのだそうです。

 この戦略は成功し、21世紀の現在、パンの消費

量はコメを超えているようです。

しかしこれはそう悪いことでは無かったのだそう

です。なんといっても、日本人は世界でもっともいろ

いろな料理を食べる民族のようです。作治はイタリ

アン、今日は和食、明日は洋食と、実に毎日色々

な国の料理を食べるそうです。こんな民族は世界

でも日本だけといわれるほどだそうですね。
 
また次回おたのしみに  峰不二子




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