3つ目は 「調速機」 の発明のようです。
西暦1675年にホイヘンスが時計の内部機構
である 「てんぷ」 と「ひげゼンマイ」 を組み合わ
せた当時として、画期的な機構を発明したそう
です。
これにより、今では当たり前となっている 「分針」
がつくようになったそうです。
ちなみに現存する日本最古の機械式時計の存在
を知っていますか?
実は、久能山東照宮に保管されているそうです。
その機械式置時計は西暦1600年代末にマドリ
ードで製造されたものでスペイン王国から徳川家康
に贈られたものだったそうです。
機械なので普通なら部品交換を繰り返すようですが、
家康の死後 「東照権現様のご遺品」 ということで
封印されていて、世界興工業史にとって非常に重要
な逸品を伝えることになっていたようです。
さらに20年後の西暦1695年、イギリスの時計師
トーマストンピオンがより精度の高い 「シリンダー
脱進機」 を考案し、その弟子ジョージ・グラハムは
30年後(西暦1727年)この仕組みを懐中時計に
実用化したことで時計の小型化、高精度化がさらに
進むことになり、この功績によってのちにトンピオンは
「イギリス時計産業の父」 称されるようになった
そうです。
また西暦1754年にはグラハムを師とするトーマス
・ヘッジが現代の脱進機に繋がる 「レバー脱進機」
を発明し、レバー脱進機は大量生産を可能ににし時計
産業をさらに発展させる足がかりになったのだそう
です。
そして、第3フェーズに移るようです。
【時計と暦】 〈第3フェーズ〉 西暦1754~2000
年頃まで
機械式時計の小型化がさらに進み、ファッションとして
身につけられる 「懐中時計」 の時代へ発展していく
ようです。
ここで、機械式時計が小型化になった理由と懐中時計
と腕時計がどのような理由で発展し広まっていったのか
見てみましょう。
機械式時計の小型化は、軍の要請も大きく関与してい
たようで、ヨーロッパでは西暦1450年頃から大航海
時代が始まったそうですが、緯度がわかっても(太陽
や北極星)緯度を測ることができなかったため、船の
衝突、遭難事故が多発していたようです。
西暦1700年代にはイギリスの海軍の軍籍が沈む大
事故がきっかけで海上で緯度を確定する有効な方法
を募集し、これに応じたのがある木工職人だった
そうです。
西暦1736年、太陽の位置から経度を測定する方法
に基づき、揺れる船内に長時間おいても正確に動く
機械式時計 「クロノメーター」 を初めて製作し、
なんと5ヶ月間の航海で誤差はたったの1分以内と
いう高精度を実現したようです。
このような経緯を辿り、機械式時計の小型化が進んで
いったのだと思います。
また懐中時計は西暦1700年頃から一般的に使われる
ようになり、約100年以上の間ポケットに入れることが
普通だったようです。
そして、西暦1900年代にさらに改良が進みチェーン
ストラップがつけられステータスの象徴に。
その後、戦争で戦う兵士たちが時間がすぐにわかる
ようにと腕時計の着用が義務になったそうです。
また次回おたのしみに 峰不二子