着物の歴史とその移り変わりを簡単に!ルールの
由来や伝統工芸の特徴は?
着物とは何と訊かれて、
的確にわかりやすく説明するのは難しいことと思います。
着物の歴史と移り変わりについてや、
着物に対する思いを綴っているそうです。
着物のルール、
その由来とはいったい何だったのか?
伝統文化の中の伝統工芸と着物の特徴について勉強してみましょう。
着物とは何?
着物という言葉を調べると、からだに着るものの総称、衣服、洋服に対して和服。
着物とは、文字通り、『和』の『服』つまり日本の衣服という意味になるのかと思います。
明治時代以前の日本には、和服という言葉はなく、
江戸時代でも呉服問屋という言葉はあったそうですが、
着物のことを和服とは言っていなかったのだと思います。
着物という言葉は、『着るもの』という意味の着物で、
単なる“服”という意味の言葉だったのだそうです。
西洋の人たちが着ていた衣服「洋服」に対し、
「従来の日本の衣服」を表す言葉として『和服』という言葉が出来たのだと思います。
ですから、
衣服(身にまとい着るもの)のの中に、
洋服や和服があるということですが、
海外の方に『和服』は“kimono”という呼び方で知られているようです。
着物は日本固有の衣装であり、民族衣装とされているそうです。
その着物の中に、日本人ならではの文化が凝縮されているようです。
四季折々、姿を変える豊かな自然に恵まれ、
その自然を慈しむ生活様式の中で培われた日本人の感性は、
『花鳥風月』 『詫び寂び』 『粋と雅』 などの言葉に表現される、
独特の美意識を生み出したそうですね。
着物のデザインはまさに、
その美意識が随所に表現されていることと思います。
また、着物を作る過程において、
日本人の繊細で卓越した職人への心と技が活かされていると思います。
着物は世界中のどの国の民族衣装にも劣ることのない、
誇るべき染色技術によって作り出されていると思います。
着物について 歴史と移り変わりの中でルールとは?
この着物というものに対する捉え方は、
その時々の時代で生き、
着物を着用している人によって変化して行くそうです。
着物とは、着るもの、~着てこそ・きものであり、
単なる衣服のひとつの形にすぎないそうです。
地球上に存在する生物の中で、
唯一衣服なるものを身にまとう動物は人類だけだと思います。
その地球上のあちこちで、人類の文化が目覚め発展していると思います。
それはその土地の気象条件や気候風土によって、
その土地固有の被服史を創り上げてきたと言われているようです。
日本という国は、アジアの一部に位置し、
長い歴史を持つ隣国 中国大陸の影響をそのままに受け継ぎ、
我が国の被服史は幕を開けたようです。
被服史の始まりに、貫頭衣や巻布衣という形を見ますが、
邪馬台国という国家が形成された時やその後も、
日本史で教わった卑弥呼や聖徳太子の絵に見る衣装は、
大陸の文化そのままのように思われます。
衣服が外敵から身を守るために着るという目的から、
次第に身分を表す目的を持つようになってきたようです。
上流社会の人々の衣服にはステイタスシンボルとしての意味が加わり、
冠位十二階の制度では、階級によって衣服の色が定められていたそうです。
我が国が、大陸文化に大きな影響を受けながら発展していく中で、
自我に目覚めた日本人の信念を感じさせる、
和の文化の独立宣言とでもいうような、被服史の1ページがあり、
それは、養老三年(719年)に発布された、元生の衣服令だそうです。
〇〇天皇により
『天下百姓ヲシテ襟ヲ右二セシム』
“日本人は皆衿を右前に着ること”と決められたそうです。
しかし、衣服の形自体は大陸の文化『唐風』を真似ているそうです。
元々、着物に決められた定義(条件)があるとすれば、
『着物は右前に着る』 これだけだと思います。
衣服令が発せられた奈良時代の8世紀の衣服の素材は、
絁(あしぎぬ)や苧麻(ちょま)、麻、藤などの植物繊維が主だったそうです。
正倉院の宝物を見ると、既に8世紀には、素晴らしい織りや、
藹纈(ろうけち)や夾纈(きょうけち)、纐纈(こうけち)などの
染色法があったことがあるかと思います。
また次回お楽しみに 峰不二子