コラム 『まほうびんの歴史』

あきは薬局

2025年03月05日 16:36

 魔法瓶市場は東南アジアから



この後、続々と魔法瓶製造会社が現れるそうですが、

日本国内では高価であったためあまり売れず、主な

販売先は欧州の植民地であった東南アジアであった様

です。

1914年(大正3)に勃発した第一次大戦によりスエズ

運河が封鎖され、欧州からの輸入が困難になったそう

で、大量の注文が日本に入って来たためであったそう

です。



大阪のガラス工業と魔法瓶


魔法瓶の製造は、そのほとんどが大阪で、そのルーツ

をたどれば大阪天満宮にある「大阪ガラス撥祥の地」の

石碑に刻まれているかと思います。

1751年(宝暦元)に長崎商人が天満宮の鳥居前に

ガラス工房「玉屋」を造り、これが大阪でのガラス工業

の始まりとされているそうです。

その後大阪には多くのガラス職人が育ち、輸出港も近

く、多数の資材・部品の下請けも多かったそうで、大正

初めの魔法瓶誕生から量産へと導かれていったのだ

そうです。



戦時中の魔法瓶


昭和10年代から、第二次世界大戦に突入する様で

すが、その間でも魔法瓶制造は行われていたかと思い

ます。主に爆撃機や偵察機で使用された「航空魔法瓶」

や、金属不足のため外装を有田焼の磁器で作られた

魔法瓶も発見されていたのだと思います。




戦後の魔法瓶開発


魔法瓶はガラス職人が「手吹き」という方法で内瓶・外瓶

を二重に形成し、その間にメッキを施したうえで真空引き

して「中瓶」が出来上がり、製品化するのは分業で、外装

ケース等で取り付けていた様で、その「中瓶」の製造を

自動化したのが、現在の象印マホービンやダイヤモンド

魔法瓶であり、1963年(昭和38)のことで、この画期的

な自動化によって生産数も飛躍的に伸長し、国内普及へ

の大きな原動力となった様です。

また1978(昭和53)には、日本酸素(現サーモス)が、

国産初の高真空ステンレス魔法瓶(携帯用)を

開発し、発売。その後各社が参入し、魔法瓶

業界はこのステンレス製で大きく変貌してゆくこと

となるのだそうです。



日本の魔法瓶開発(戦後)の歴史




この時期から、各社で様々な商品開発が行われ

る。年代別にそれらの代表商品を見てみましょう。

「ガラス製」、「ステンレス製」、「チタン製」がある様

です。


①1948年(昭和23)北欧調ポット:協和製作所

(現象印マホービン)


②1953年(昭和28)広口ロヂャー:ナショナル魔法瓶

(エベレスト)


③1953年(昭和28)業務用アイスボックス:各社


④1964年(昭和39)ランチジャー:グロリア魔法瓶


⑤1967年(昭和42)花柄ポット:ナショナル魔法瓶

(エベレスト)


⑥1968年(昭和43)回転式ポット:ピーコック


⑦1971年(昭和46)据置型電動ポット:タイガー


⑧1972年(昭和47)エアポート:ナショナル魔法瓶

(エベレスト)


⑨1978年(昭和53)高真空ステンレスボトル:日本酸素

(現サーモス)


⑩1979年(昭和54)有田焼茶器ポットセット:タイガー


⑪1980年(昭和55)太びんエアーポット:象印


⑫1982年(昭和57)学童用ステンレスボトル:日本酸素

(現サーモス)

⑬1983年(昭和58)みェ~るポット・落下式ポット:象印


⑭1983年(昭和58)ステンレスランチジャー:象印


⑮1985年(昭和60)ステンレス卓上ポット:ダイヤ魔法瓶

(現オルゴ)


⑯1985年(昭和60)コンパクトポット:象印


⑰1985年(昭和60)ステンレススリムボトル:象印


⑱1985年(昭和60)ステンレスタンブラー:日本酸素

(現サーモス)


⑲1987年(昭和62)中栓なしエアーポット:象印


⑳1988年(昭和63)チタン製ボトル:日本酸素

(現サーモス)


㉑1989年(平成元)保温調理器:日本酸素

(現サーモス)


㉒1990年(平成2)角型ランチジャー:象印


㉓1991年(平成3)ステンレスミニボトル:タイガー


㉔1992年(平成4)軽量・コンパクトボトル:象印


㉕1994年(平成6)内面フッ素加工ボトル:象印


㉖1998年(平成10)超軽量コンパクトボトル:象印


㉗2005年(平成17)ステンレス保温弁当箱:サーモス


㉘2009年(平成21)チタン製タンブラー:セブン・セブン

(現SUS)


㉙2011年(平成23)軽量ワンタッチ栓ボトル:サーモス


㉚2017年(平成29)自転車用専用ボトル:サーモス


また次回おたのしみに峰不二子

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