コラム 『日本の花見の由来。起源は奈良時代の梅だった!

あきは薬局

2025年03月28日 16:24

 日本の花見の由来。起源は奈良時代の梅だった 



四季折々の自然が見られる日本で、特に春を

感じる行事として親しまれている 「お花見」 。

近年では桜のシーズンに花見を目的に来日する

外国人観光客も増えてきているそうです。毎年花見

を楽しんでいる人も、花見の由来や起源について

説明できる人は少ないかと思います。


ここで今回は、日本の花見の由来や起源、現代まで

の変遷などについて見ていきましょう。日本の歴史

を紐解きながら花見の由来を理解すると、 「お花見」

の趣が一層深くなることと思います。



|日本の花見はいつ始まった?花見の由来を

知ろう


日本の花見はいつ、どのように始まったと思い

ますか?その起源や由来について勉強しましょう。



■花見の起源は奈良時代?


花見の起源は諸説ある様ですが、時代をさかのぼる

と、奈良時代には貴族が梅を好み、花鑑賞をしていた

様です。


現代では花見と言えば桜を指す様ですが、当時は

中国から伝来してきた梅の花が主流だったそうです。

これは、決して桜が好まれていなかったというわけ

ではなく、当時の日本人にとって桜が神聖な木として

扱われていたためだそうです。

実際、 「万葉集」 には桜を詠んだ歌も残され、

古代神話以前から桜は神の宿る木として信仰の

対象ともなっているのだそうです。

平安時代に入ると、貴族たちは次第に桜を春の花

の代表格として愛でるようになり、これには、894年

の遣唐使廃止が一つのきっかけになったとも考え

られ、遣唐使廃止を機に日本人は中国から伝来し

た梅ではなく、日本古来の桜に対して、より親しみ

を感じるようになったのだと思います。


桜の下で宴を開催している宮中の様子は、平安時代

中期の名作 「源氏物語」 にも記され平安時代の中期

に編まれた 「古今和歌集」 で、春の歌として桜を詠んだ

歌がとても多く残されているのだそうです。


当時の貴族たちにとって、桜が 「春を象徴する花」 と

してイメージされるようになっていることが分かるかと

思います。


■貴族だけでなく、農民も花見をしていた


貴族たちは桜を鑑賞して楽しむ目的で花見を行って

いたのだそうですが、農民はまた異なる目的で花見を

していたといわれている様ですね。


春の到来は農民にとって田畑を育てる始まりの季節

で、春の訪れを告げる花が咲くと、厄を祓う(はら)う

宗教的な意味と共に花が愛でられていたそうで、花

を愛でる行事は祭事として期日が決められ、その日

になると野や山へ出かけて花を愛でる 「野遊び」 

や 「山遊び」 が行われていたそうです。

その中には桜の木もあり、その下で楽しむことで、

神と過ごし五穀豊穣を願ったのだと思います。


現代のような、純粋な楽しみとしての花見が庶民に

広まったのは、江戸時代以降からだといわれている

のだと思います。



|現代までの花見の変遷


次に、鎌倉時代から現代まで、花見の変遷について

順を追って見ていきましょう。


■鎌倉時代~安土桃山時代の花見


平安時代までは貴族の楽しみであった花見も、鎌倉

時代に入ると徐々にあらゆる階層に広まっていくこと

となる様です。武士や町人も桜を楽しむようになり、

京都では山や寺社などにも桜が植えられたのも

この頃であると言われているのだそうです。


安土桃山時代には、武士たちが外へ出かけて花見

をするようになり、特にある武士がおこなった

「醍醐の花見」 や 「吉野の花見」 は有名で、

吉野はおよそ5,000人、醍醐寺には1,000人

以上が参加したのだそうです。徳川家康や前田利家

など、当時の名将たちも集まり、盛大な宴であった

のだと思います。

東京都豊島区にあった 「染井村」 で植木職人の手に

よって作られたといわれ、奈良県ある吉野の山桜と

区別するため、のちに 「ソメイヨシノ」 と呼ばれる

ようになったのが、現在のソメイヨシノの始まりと

されているのだそうです。


こうした桜の交配や改良は江戸末期までに盛んに

行われるようになり、この頃できた桜の種類は

250~300種にもなっているのだそうですね。


また次回おたのしみに峰不二子

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