コラム 『日本の花見の由来。起源は奈良時代の梅だった!
日本の花見の由来。起源は奈良時代の梅だった
四季折々の自然が見られる日本で、特に春を
感じる行事として親しまれている 「お花見」 。
近年では桜のシーズンに花見を目的に来日する
外国人観光客も増えてきているそうです。毎年花見
を楽しんでいる人も、花見の由来や起源について
説明できる人は少ないかと思います。
ここで今回は、日本の花見の由来や起源、現代まで
の変遷などについて見ていきましょう。日本の歴史
を紐解きながら花見の由来を理解すると、 「お花見」
の趣が一層深くなることと思います。
|日本の花見はいつ始まった?花見の由来を
知ろう
日本の花見はいつ、どのように始まったと思い
ますか?その起源や由来について勉強しましょう。
■花見の起源は奈良時代?
花見の起源は諸説ある様ですが、時代をさかのぼる
と、奈良時代には貴族が梅を好み、花鑑賞をしていた
様です。
現代では花見と言えば桜を指す様ですが、当時は
中国から伝来してきた梅の花が主流だったそうです。
これは、決して桜が好まれていなかったというわけ
ではなく、当時の日本人にとって桜が神聖な木として
扱われていたためだそうです。
実際、 「万葉集」 には桜を詠んだ歌も残され、
古代神話以前から桜は神の宿る木として信仰の
対象ともなっているのだそうです。
平安時代に入ると、貴族たちは次第に桜を春の花
の代表格として愛でるようになり、これには、894年
の遣唐使廃止が一つのきっかけになったとも考え
られ、遣唐使廃止を機に日本人は中国から伝来し
た梅ではなく、日本古来の桜に対して、より親しみ
を感じるようになったのだと思います。
桜の下で宴を開催している宮中の様子は、平安時代
中期の名作 「源氏物語」 にも記され平安時代の中期
に編まれた 「古今和歌集」 で、春の歌として桜を詠んだ
歌がとても多く残されているのだそうです。
当時の貴族たちにとって、桜が 「春を象徴する花」 と
してイメージされるようになっていることが分かるかと
思います。
■貴族だけでなく、農民も花見をしていた
貴族たちは桜を鑑賞して楽しむ目的で花見を行って
いたのだそうですが、農民はまた異なる目的で花見を
していたといわれている様ですね。
春の到来は農民にとって田畑を育てる始まりの季節
で、春の訪れを告げる花が咲くと、厄を祓う(はら)う
宗教的な意味と共に花が愛でられていたそうで、花
を愛でる行事は祭事として期日が決められ、その日
になると野や山へ出かけて花を愛でる 「野遊び」
や 「山遊び」 が行われていたそうです。
その中には桜の木もあり、その下で楽しむことで、
神と過ごし五穀豊穣を願ったのだと思います。
現代のような、純粋な楽しみとしての花見が庶民に
広まったのは、江戸時代以降からだといわれている
のだと思います。
|現代までの花見の変遷
次に、鎌倉時代から現代まで、花見の変遷について
順を追って見ていきましょう。
■鎌倉時代~安土桃山時代の花見
平安時代までは貴族の楽しみであった花見も、鎌倉
時代に入ると徐々にあらゆる階層に広まっていくこと
となる様です。武士や町人も桜を楽しむようになり、
京都では山や寺社などにも桜が植えられたのも
この頃であると言われているのだそうです。
安土桃山時代には、武士たちが外へ出かけて花見
をするようになり、特にある武士がおこなった
「醍醐の花見」 や 「吉野の花見」 は有名で、
吉野はおよそ5,000人、醍醐寺には1,000人
以上が参加したのだそうです。徳川家康や前田利家
など、当時の名将たちも集まり、盛大な宴であった
のだと思います。
東京都豊島区にあった 「染井村」 で植木職人の手に
よって作られたといわれ、奈良県ある吉野の山桜と
区別するため、のちに 「ソメイヨシノ」 と呼ばれる
ようになったのが、現在のソメイヨシノの始まりと
されているのだそうです。
こうした桜の交配や改良は江戸末期までに盛んに
行われるようになり、この頃できた桜の種類は
250~300種にもなっているのだそうですね。
また次回おたのしみに峰不二子
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