コラム 【長岡花火の歴史と込められた意味】
|長岡初の花火大会が現在の原形に
1879年(明治12年)には長岡初の本格的な花火
大会が開催され、これが現在の長岡花火の原形と
なったようです。
9月14日と15日の二日間、ある神社で行われた
お祭りで、遊郭関係者が資金を出しあって350発
の花火を打ち上げたとされているそうです。
その後、より大きい尺玉や新しい仕掛け花火が
開発され、全国的な知名度も高まっていったそう
です。
|戦争の影響で一度は途絶える
1937年(昭和12年)頃から、戦争が激化した
影響で日本全体に自粛ムードが漂い始め、
翌1938年(昭和13年)には花火大会も中止
に追い込まれたのだそうです。
そして、1945年(昭和20年)8月1日、1488名
が犠牲となった長岡大空襲が起こり、焼夷弾の
投下は1時間40分にも及び、市街地の8割が
焼け野原と化したのだそうです。
|慰霊と平和への祈りを込めた復興祭として
復活
悲惨な空襲から1年後の1946年(昭和21年)
8月1日に 『長岡復興祭』 が開催され、
その翌年の復興祭で花火大会が復活し、空襲が
あった8月1日は戦没者の慰霊に重点を置き、
2日と3日の二日間で花火大会を行うように
なったのはこのときからだそうです。
現在に至るまで、空襲が始まった時刻(8月1日
午後10時30分)に合わせて慰霊のための花火を
打ち上げる風習は続いているそうで、また市内寺院
協力のもと、同時刻に慰霊の鐘も鳴らされるそう
ですね。
空襲で亡くなられた方への慰霊と、戦後の復興に
尽力した先人への感謝、そして恒久平和への願い
を込めて、長岡花火は受け継がれ続けているの
だそうです。
長岡花火の特徴と見どころ
長岡花火は、他の花火大会に比べて打ち上げる
花火玉が大きいのが特徴で、2.5号玉(直径約
7.5㎝)から5号玉(直径約15㎝)程度のサイズ
が一般的でのようですが、長岡花火では10号玉
(直径約30㎝)が標準と言われているそうです。
その中で最も大きいのが、直径90㎝、打ち上げ
幅約650メートルの超特大玉 「正三尺玉」 な
のだそうです。
さらに、信濃川沿いの広大な河川敷を利用すると、
全国有数の敷地面積でビッグスケールな演出が
楽しめる様ですね。
長岡花火に込められた意味
長岡花火といえば、冒頭に打ち上げられる 『白菊』
とラストを飾る 『フェニックス』 が特に有名で、
それぞれに特別な意味が込められているのだそう
です。
|白菊
現在の正式名称は 『慰霊と平和への祈り』 10号
3発で、長岡空襲があった8月1日午後10時30分、
そして長岡花火大会のプログラム冒頭に打ち上げ
られる白一色の正三尺玉を指すそうです。
伝説の花火師と呼ばれた方により、シベリアで共に
勾留されていた戦友たちへ捧げる追悼と鎮魂のため
の花火として製作されたようです。
現在でも慰霊と平和への願いの象徴となっており、
COVID19(新型コロナウイルス感染症)の影響で
長岡花火大会が中止されていた間も 『白菊』 の
打ち上げは行われていたのだそうですね。
|フェニックス
「被災した中越地方をはじめとする新潟県全体の
人々を元気づけるため、一日でも早い復興を祈願
し、世界に誇れるような壮大な花火を打ち上げたい」
という思いから生まれたようです。
『フェニックス』 の最大の特徴は、 『Jupiter』 を
BGMに、メロディーに合わせて打ち上げられる“ミュー
ジック花火”であることのようですね。
「何度被害に遭っても、不死鳥のように甦る」 という
メッセージが込められ、花火の中心に現れる光跡は
フェニックス(不死鳥)を表現しているそうですね。
込められた意味を知って長岡花火をもっと堪能しよう
今では夏の風物詩として広く親しまれている長岡花火。
その裏には、戦争で犠牲になった人々への慰霊や、
平和への願いが込められているそうですね。
現地まで行く方、テレビの中継で見る方も、今年は
ぜひ長岡花火の歴史や込められた意味を頭の片隅
に置きながら鑑賞してみるのも良いかと思います。
これまでとは違った発見があるかと思います。
また次回おたのしみに 峰不二子
関連記事