コラム 【長岡花火の歴史と込められた意味】

あきは薬局

2024年07月08日 16:04

 |長岡初の花火大会が現在の原形に



1879年(明治12年)には長岡初の本格的な花火

大会が開催され、これが現在の長岡花火の原形と

なったようです。


9月14日と15日の二日間、ある神社で行われた

お祭りで、遊郭関係者が資金を出しあって350発

の花火を打ち上げたとされているそうです。


その後、より大きい尺玉や新しい仕掛け花火が

開発され、全国的な知名度も高まっていったそう

です。


|戦争の影響で一度は途絶える



1937年(昭和12年)頃から、戦争が激化した

影響で日本全体に自粛ムードが漂い始め、

翌1938年(昭和13年)には花火大会も中止

に追い込まれたのだそうです。

そして、1945年(昭和20年)8月1日、1488名

が犠牲となった長岡大空襲が起こり、焼夷弾の

投下は1時間40分にも及び、市街地の8割が

焼け野原と化したのだそうです。



|慰霊と平和への祈りを込めた復興祭として

復活



悲惨な空襲から1年後の1946年(昭和21年)

8月1日に 『長岡復興祭』 が開催され、

その翌年の復興祭で花火大会が復活し、空襲が

あった8月1日は戦没者の慰霊に重点を置き、

2日と3日の二日間で花火大会を行うように

なったのはこのときからだそうです。


現在に至るまで、空襲が始まった時刻(8月1日

午後10時30分)に合わせて慰霊のための花火を

打ち上げる風習は続いているそうで、また市内寺院

協力のもと、同時刻に慰霊の鐘も鳴らされるそう

ですね。


空襲で亡くなられた方への慰霊と、戦後の復興に

尽力した先人への感謝、そして恒久平和への願い

を込めて、長岡花火は受け継がれ続けているの

だそうです。


長岡花火の特徴と見どころ


長岡花火は、他の花火大会に比べて打ち上げる

花火玉が大きいのが特徴で、2.5号玉(直径約

7.5㎝)から5号玉(直径約15㎝)程度のサイズ

が一般的でのようですが、長岡花火では10号玉

(直径約30㎝)が標準と言われているそうです。

その中で最も大きいのが、直径90㎝、打ち上げ

幅約650メートルの超特大玉 「正三尺玉」 な

のだそうです。


さらに、信濃川沿いの広大な河川敷を利用すると、

全国有数の敷地面積でビッグスケールな演出が

楽しめる様ですね。



長岡花火に込められた意味


長岡花火といえば、冒頭に打ち上げられる 『白菊』

とラストを飾る 『フェニックス』 が特に有名で、

それぞれに特別な意味が込められているのだそう

です。


|白菊


現在の正式名称は 『慰霊と平和への祈り』 10号

3発で、長岡空襲があった8月1日午後10時30分、

そして長岡花火大会のプログラム冒頭に打ち上げ

られる白一色の正三尺玉を指すそうです。

伝説の花火師と呼ばれた方により、シベリアで共に

勾留されていた戦友たちへ捧げる追悼と鎮魂のため

の花火として製作されたようです。


現在でも慰霊と平和への願いの象徴となっており、

COVID19(新型コロナウイルス感染症)の影響で

長岡花火大会が中止されていた間も 『白菊』 の

打ち上げは行われていたのだそうですね。



|フェニックス


「被災した中越地方をはじめとする新潟県全体の

人々を元気づけるため、一日でも早い復興を祈願

し、世界に誇れるような壮大な花火を打ち上げたい」

という思いから生まれたようです。


『フェニックス』 の最大の特徴は、 『Jupiter』 を

BGMに、メロディーに合わせて打ち上げられる“ミュー

ジック花火”であることのようですね。


「何度被害に遭っても、不死鳥のように甦る」 という

メッセージが込められ、花火の中心に現れる光跡は

フェニックス(不死鳥)を表現しているそうですね。



込められた意味を知って長岡花火をもっと堪能しよう


今では夏の風物詩として広く親しまれている長岡花火。

その裏には、戦争で犠牲になった人々への慰霊や、

平和への願いが込められているそうですね。


現地まで行く方、テレビの中継で見る方も、今年は

ぜひ長岡花火の歴史や込められた意味を頭の片隅

に置きながら鑑賞してみるのも良いかと思います。

これまでとは違った発見があるかと思います。


また次回おたのしみに  峰不二子













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