「こけし」って何?語源や歴史をかんたん解説
全国各地で土産物としてみられる「こけし」。実は東北生まれというものを知っていますか。江戸時代に
湯治客の土産物として広まる一方で、天然痘などの病から子どもを守る魔除け、子授けの縁起物など、さま
ざまな用途に使われ親しまれてきたそうです。そんなこけしについて勉強しましょう。
「こけし」ってそもそも何なの?
突然ですが「こけ女(じょ)」って知っていますか?苔が好きな女性ではなく、「こけし」が好きな女性の
ことのようです。
木でつくられた素朴な雰囲気、やわらかく自然な表情、小さく微笑む唇。じぃーっと眺めていると、なぜ
かホッコリとした気持ちになる。そんな不思議な魅力が、コケ女を生み出したのだと思います。
そのこけ女が火付け役となり、2010年頃から“こけしブーム”がジワジワときていることの
ようです。
|江戸時代にお土産として広まる
こけしがはじめて広まったのは、いつ頃だと思いますか。答えは江戸時代のようで、木地師
(きじし)と呼ばれる職人が、お椀やお盆などをつくった後に出る端材でこけしを作り、土産物
として湯治客に売っていたそうです。
湯治客の大半を占めるのは農民だと思います。収穫が終わり農閑期に入ると、今までたまった
疲れを癒しに食材や寝具を持って湯治場へ出かけていったそうです。そして帰りに子どもへの
お土産にこけしを買っていき、徐々に広まっていったのだと思います。
|「こけし」という名前になったのは近年
「こけし」という名前になったのは、近年近年のことのようです。それまでは「きでこ」 「でくの
ぼう」 「きぼこ」 「きぼっこ」 「こけぼうこ」 「こげす」 「けしにんぎょう」 「こげすんぼこ」
「おでこさま」 「きなきなずんどこ」 など、各地でさまざまな呼び名があったそうです。
しかし、昭和15年(1940)のある団体が開催した大会でバラバラだった呼び名を「こけし」
に統一すべきと決議され、こけしという名前に統一されたのだと思います。
こけしの語源について
こけしの語源についてさまざまな説があるそうですが、TVやネットで話題になったのは
「子消し(子化身)説」だと思います。こけしが広まった江戸時代に、長期的な飢餓が
何度も起こったことのようです。そのため口減らしで死んだ幼子・水子を供養する為に
用いられたのではという内容のようです。
この「子消し説」は、1971年に発刊された方によるもので、作中の「子消し」に関する
記述が根拠として提示されたそうですが、この記述を裏付ける明確な文献は存在せず、
民俗学的には根拠のない俗説(デマ)とされているのだそうです。
有力とされている語源は、木でつくった「※芥子人形(けしにんぎょう」からきたのではな
いか?という説のようで、こけし専門の最初の文献である本にも、こけしは“ただの木製
人形”という意味で、それ以上の意味合いはないという趣旨が記されていることのようで
す。
|子消しじゃないよ、“縁起物”だよ
こけしは俗説にあるような不幸を象徴する人形ではなく、縁起物として親しまれていた
記録が残されているそうです。
ある記録によると、“木地人形こふけし(子授けし)”という記載があり、子どもを授かる
おまじないとして結婚の祝いにこけしを贈っていたのではないか?とも考えられて
いることのようです。
こけしのはじまりは湯治客(農民)へのお土産。農民にとっての湯治は、心身をリフレ
ッシュさせると共に、これから訪れる長い冬と戦うための備えだそうで、そのため
こけしを心身回復や五穀豊穣など、山の神とつながる“縁起物”として買って帰る農民が
大勢いたと考えられているそうです。
こけしが広まった経緯や語源などを見ていきましたね。次はこけしが誕生した歴史を
勉強しましょう。
こけしの歴史は奈良時代から始まる
こけしの歴史は今から1200年以上前で、奈良時代の女帝・称徳(しょうとく)天皇の
在位にさかのぼるそうで、称徳天皇は国の安泰を祈願するために、100万基の木製
※小塔(しょうとう)をつくり、その中に※陀羅尼経(だらにきょう)を納められたそうです。
その100万基の木製小塔は「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)」と呼ばれて、木地
師が作った最古のこけしと言われているそうです。
その後技術を習得した木地師たちは、惟喬天皇の権威のもとに良質な木材を求めて
関東、四国、九州へとわたり、各地の湯治場へ移っていくのだそうです。
木地師はお椀などをつくる仕事の傍ら、子どものために「こま」や「きぼこ(こけし)」と呼ば
れる木地玩具をつくったそうです。それらが湯治場で売られるようになり、庶民の間に
こけしが広がっていったと考えられているそうです。
また次回おたのしみに 峰不二子