コラム カレンダーの歴史

あきは薬局

2020年10月16日 17:33

 高度な技術が必要だがとても正確な「太陽暦」


エジプトでは太陽暦の公転周期をそのままはかる「太陽暦」が採用されていたようです。


太陽歴の運行状況を完璧にはかることはことはとても難しく、月の満ち欠けを基

準にする太陰暦の方が当時の人々にとっては手軽でわかりやすいカレンダー

でした。

しかし、エジプトの人たちは太陽の長い周期を読み取り、現在でも続くほ

ぼ完ぺきなカレンダーを完成させていたようです。


というのも、ピラミッドなどの建造物は、太陽のつくる影によって正

確な日や時間がわかるように作られていると考えていますので、

様々な建造物のちょっとした穴や窪みが、実は日時計であったというよ

うな発見も多くあるようです。


一年中日差しの強いエジプトならではの技術かもしれませんが、当時の人

たちの知恵には驚かされるものがあるかと思います。



ひと月は30日か31日か|政治のために

英雄により生み出された「ユリウス暦」


現代のカレンダーでもそうですが、ひと月が30日の月もあれば31日の月も

ありますね。しかも特に規制があるわけでもなく、何故このようなややこし

いことになってしまったのでしょうか・・・。


それには、ローマの英雄カエサルが深く関わっていたようです。

しかしローマ歴も、1年に10月までしかないなど、きちんと一周

しない暦だったようです。


その頃ローマでは共和制が進んでいて、政治的な活動が活発になってい

ました。コンスルという最高執行官の座をかけて様々な媒略が巡り、時に

は暗殺なども行われていたようです。


カレンダーに関してはローマ歴で生じてしまうズレを調整

するため「潤月」を神官などが定めるとされていたようです。


賄賂などを受け取り、コンスルとして在籍できる任期を延ばしたり、逆に

政敵に陥れるために短くするなど、政治的な思惑をもって恣意的に潤月

が操作されることもあったようですね。



独裁官カエサルによるカレンダー修正


そんな腐敗したカレンダー事情にメスを入れたのがあの有名な英雄ユリウ

ス・カエサルのようです。


彼が元老院やポンペイウスを倒し独裁官になったころ、政治に利用されて

長くされたり短くされたりしていた暦は実際の季節とは約3か月もずれて

しまっていたようです。


長く使われていたこれまでのローマ歴をただすのはかなりの労力が必要と

思われますが、奇跡的にもカエサルの恋人はエジプト人のクレオパトラの

ようです。


実際はそれが関係あるかはわかりませんが、エジプトとの親交が深

いカエサルはすぐにエジプトで使われているほぼずれのない太陽暦を採用

することができたようです。


そして、紀元前45年1月1日から始まるカレンダーを「ユリウス暦」とした。




規則正しいはずだった「大の月」と「小の月」


また、一年の365日を12月の中で、どう振り分けるのかもカエサルによって

決定されたようです。最初に決められたのは以下の通りです。


それまで使われていた太陽太陰暦であるヌマ歴の名残から、2月は一日分少

なくなっていますね。


5月31日

6月30日

7月31日

8月30日

9月31日

10月30日

11月31日

12月30日


このように、奇数月と偶数月で規則正しく30日と31日が並んでおり、31

日の月は「大の月」30の月は「小の月」という風によばれていたことのよう

です。



不規則になったのはアウグストゥスのせい


ユリウス暦が採用された翌年、カエサルは無念にも盟友ブルータスに暗殺

されてしまいます。


ユリウス暦はカエサルの死後も使い続けられることにはなりましたが、誰

がどうミスをしてしまったのか、なんと4年に1度のうるう年がなぜか3

年に一度と間違われて運用されていたようです。


それを修正したのが後にローマ皇帝となったアウグストゥスで、8年間限

定でうるう年をなくすなどの微調整をしました。


そこまでは良かったのですが、自分の誕生月である8月が「小の月」

とされていたのが気に食わなかったらしく、勝手に8月を大の月、つま

り31日間にしてしまいました。そのせいで7月と8月は大の月が連続するこ

となり、そこからまた交互に大の月と小の月が続くようになったと言われて

います。


また、自分の誕生月であるであるからということで、8月を「Augustus」という

名前にしてしまい現在のAugustとなったようです。


その後何千年も続くカレンダーに自分の名前を入れたり、よくわからない

理由で勝手にひと月の日数を変えてしまうなんてはた迷惑な皇帝ですね・・・・




現代でも使われているカレンダー|宗教のために生まれた「グレゴリオ暦」


現在使われているカレンダーは、16世紀後半から始まった「グレゴリオ

歴」というカレンダーです。


キリスト復活祭のための新たなカレンダー


ユリウス暦は当時のカレンダーとしては非常に高い精度を誇っていました

が、厳密に言うとユリウス暦での太陽の運行周期は、0.0078日分

(約11分15秒)長いです。


よって、約128年で1日分の誤差が生じてしまうということで、ユリウス暦

が採用されてから千年以上の時を経てユリウス暦が見直されることとなった

のです。


というのもキリストの復活祭を行う春分日が、蓄積された誤差の

ために10日もズレてしまったために、各地で復活祭をいつ行うかと

いう点で統制が取れていませんでした。


そのため、新たな暦の制定が持ち上がったようです。


そしてさらなる計算の上、グレゴリオ暦が定められました。このグレゴリ

オ暦は現代でも使われているカレンダーとなり、現時点では最も正確なカ

レンダーとされていますね。


それでもやはりある程度の誤差は免れずに、グレゴリオ暦が導入された1582

年から3221年後に一日ずれてしまうそうです。



ユリウス暦とグレゴリオ暦の戦い|クリスマスはいつ?


グレゴリオ暦が定められた16世紀ごろは、キリスト教の宗派も様々なも

のに枝分かれしていました。11世紀には東西教会大分裂という事件が起こ

り、ローマとギリシャでわかれてしまいました。


このグレゴリオ暦はローマカトリック教会のグレゴリウス13世という人物

が定めた暦で他の枝分かれしてしまった宗派はローマカトリックが勝手に

決めたことに従うものかと反発していました。


しかし内容として、ユリウス暦よりも正確で日付が春分の日がずれることが

なく、キリストの復活祭を祝うことができるというメリットにおいておいては間

違いありませんので、プロテスタント諸国への浸透は早かったと言うようです。




しかし、長年の因縁の相手であるギリシア正教会はそう一筋縄ではいきま

せん。実は正教会の一部ではいまだにユリウス暦を使用しているそうです。


                また次回おたのしみに 峰不二子



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