コラム お花見

  「お花見」 とはどんな行事?歴史や由来を知

って家族でもっと楽しもう


日差しが暖かくなり、卒業・入学のシーズンを迎え

る頃の楽しみといえば、お花見だと思います。


空の青さと桜のピンク色の美しいコントラストを眺

めながらのんびり過ごし、みんなでワイワイ過ご

したり、楽しみ方は多種多様ですね。

ところで、お花見とはいつ始まった行事なのか気

になったことがありませんか。

お花見の歴史や由来など、普段お花見でよく見か

ける主な桜の品種、お花見で守りたいマナーなど

を考えてみましょう。


|お花見とは?歴史と由来


お花見文化の始まりは奈良時代までさかのぼり、

時代を重ねるにつれてより多くの人々に広まって

いったそうです。


奈良時代


現代でいうお花見文化の始まりは、奈良時代の

上流階級の人々に広まっていた風習だったと考え

られていたそうです。


当時の上流階級の人々は花鳥風月を詠む風習が

あったそうで、唐から伝わった梅の花を観賞しな

がら楽しんでいたようです。


この頃のお花見は、桜ではなく梅や萩を眺めるの

が主流だそうです。


ちなみに、2019年から始まった元号 「令和」 の

由来はこの時代の太宰府の長官だった人物が開い

た宴 「梅花の宴」 をつづった万葉集の序文だ

そうです。


平安時代


平安時代になり、お花見の対象は梅から桜へと

変化したようで、桜を楽しむお花見として記録に

残る最古の行事は、嵯峨天皇の催した 「花宴

之節(かえんのせち)」 だそうです。


ある書物によると、812年に京都の場所で催さ

れたと記録されていたそうです。


古今和歌にも桜を詠んだ多くの歌が残されていた

り、源氏物語には桜の下で宴会を開く様子が記載

されていたりしているようです。


桜がいかに愛されている植物なのかが分かるかと

思います。


鎌倉・室町時代


鎌倉・室町時代になるとお花見の文化は貴族だけ

でなく、武士階級にも広まっていった様で、歴史の

教科書にも登場する源頼朝や足利将軍家などもお

花見を楽しんでいたのだそうです。


お花見は平安時代まで歌会として催されていたよ

うですが、宴会として催されるようになったのはこ

の時代からといわれているようです。


そのきっかけは、豊臣秀吉が催した 「醍醐の

花見」 なのでしょう。


醍醐の花見は京都の醍醐寺に約1,300人を

集めて開かれた大規模な宴であったそうで、こ

の時代のお花見に関する記録は 「徒然草」 の

なかにも残されているそうです。


江戸時代


農民たちは古くから桜の咲き方で収穫量を占っ

たり、桜の開花時期を作業開始時期の目安に

していたり、桜を豊作祈願として見てきたの

だそうです。


それが江戸時代に入ると、これまで上流階級

や武士など限られた人々が娯楽として楽しん

でいたお花見が庶にも広がっていったそ

うです。


江戸時代には3代目将軍の徳川家光が上野

や隅田川沿いに桜を植え、8代目将軍の徳川

吉宗は飛鳥山を整備して桜の名所としたよ

うです。


桜の品種改良もおこなわれ、江戸時代末期

になると現代ではポピュラーなソメイヨシノが

誕生したそうです。


     また次回おたのしみに 峰不二子


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