|欲しいのは“1月1日”の消印!?
正月に受け取る年賀状の消印は“1月1日”がいいと思っている方がほとんどで、当時その消印を押し
てもらうために年賀状を出す日をねらっている方が多くいたそうです。
その当時の郵便物は、受付をした「受付局」と、配達をする、「配達局」の2つの消印が押されていたよう
で、年賀状も同じようにその2つの消印を押されていたために、「配達局での1月1日の消印」が押される
ことが予測される年末と、「受付局での1月1日の消印」を押してもらうため元旦当日に年賀状を出すという
方が非常に多く、その郵便物の量はかなりの量だったそうです。
そのことに対応するためにできたのが、明治32年の指定局での年賀郵便特別取り扱い制度で、指定され
た郵便局に「12月20日から30日」の間に持ち込まれた年賀状は“1月1日の消印”で新年に配達される
というものだったそうです。
ただし、消印は1月1日だったとしても元旦に配達されるということではないということ、全国にあ
るすべての郵便局で同様の取り扱いが可能となったのは明治38年、それまでは指定局まで持ち込ま
なければならなかったということですね。
また、現在のように郵便ポストへの投函が可能となった明治40年から、それまではある程度まとまった
通数を束ねて札をつけた状態で郵便局に持ち込むということが原則だったそうです。年賀特別郵便規則
の公布により少量の投函も可能になったことで、現行の年賀郵便の制度につながる仕組みがスタート
したのだと思われます。
|戦争による年賀状の中止、そして復活まで
年賀状の取り扱いは年々増え続け、昭和10年ごろのピーク時には7億通を超えたと言われていたそ
うです。しかし、その数年後には戦争による戦局の悪化による物資の不足などの要因から年賀状を
自粛するムードが国内に広がっていき、昭和15年に年賀郵便の特別取扱は中止されてしまった
ようです。
昭和16年に太平洋戦争が始まり、終戦の年である昭和20年の時点で正月に年賀状が届くという
ことはほとんどなくなっていたそうで、それまで定着していた年賀郵便の制度は、戦争により実質
的に中止となり、復活するまでは数年かかることとなったようです。
年賀郵便の取扱が再開されるようになったのは、復興ムードが世の中に出てくるようになった
昭和23年で、戦争が起こる前に取り扱っていたピーク時の取扱量の半分にも至らず、戦後飛躍
的な増加を見せたのはこの翌年からとなったそうです。
|お年玉つき年賀状の歴史
現在では普通に販売されている「お年玉付き年賀はがき」ですが、この発想は民間人が思いついた
アイデアで、戦後の復興を願う国民の思いを反映していったようです。
平安時代かから始まったとされ、戦争で一旦なくなりかけた年賀状が、このお年玉つき年賀はがき
の発売から急激に取扱量を増やしていくこととなったのだと思います。
気になる第1回のお年玉付き年賀はがきの景品は、
・特賞→ミシン
・1等→純毛洋服地
・2等→学童用グローブ
・3等→学童用こうもり傘
という内容だったそうです。
受け取った年賀はがきの当選番号から景品が当たる!というお楽しみくじは、現在の年賀状にも
引き継がれています。
|消印が印刷され、郵便番号を記入するようになった年賀状誕生の歴史
戦後、お年玉つき年賀はがきの誕生から年々増え続ける年賀状に対応するために、昭和36年には
年賀郵便の消印が省略されて、消印に模した表示を印刷するようになり、昭和43年には郵便番号
制度が導入されたのだそうです。
増加し続ける郵便物に対応して、配達のスピードを上げるためにこれらの制度は必要不可欠だった
といえると思います。
また、昭和54年頃からは年賀はがきに絵や文字を印刷する年賀状印刷が流行り始めて、仕事など
で忙しい方にはとても人気が出たそうで、その流れは今も変わっていないと思います。
他にも、現在では年賀状の素材集などの本が毎年当たり前のように販売され、自宅でも手軽に
年賀状作成が出来るような環境になっています。
平安時代から続く年賀状歴史は、これからも多様化しながら続いていくのでしょうか。
また次回おたのしみに 峰不二子