コラム カレンダーの歴史

 また、キリスト教の中でも重要な降誕祭、いわゆるクリスマスはユリウス

暦では翌年の1月7日となっています。グレゴリオ暦上のクリスマスの時期

に合わせて海外旅行をしても、ユリウス暦を採用している地域ではもしか

したら12月25日は特に何もないということもあるかも知れませんね。


ウクライナの教会でもユリウス暦が強い影響を持っていました。現在で


は「12月25日と1月7日の両方を祝日とし、盛大にクリスマスパーティーをす

る」ということになっていたんだそうです。



財政難のために日本で導入されたグレゴリオ暦



日本でグレゴリオ暦が採用されたのは1872年のことで、明治6年のことで、

改暦について発表されたのが明治6年の11月だったとのことで、

すでに翌年のカレンダーを制作してしまっていた印刷業者などからは話が

急すぎるだろうと非難轟々だったようです。


それでも政府がなお改暦を推し進めたのには、日本政府の財政難に理由が

ありました。


当時日本では旧暦を採用していたために、1年の中には13か月あったそうです。

しかし、現在ヨーロッパで使われているグレゴリオ暦を採用すれば、12か

月に短縮されるので官僚たちへの給料の支払いを1月分免れることが

できると考えたそうです。


実際にそれが功を奏したのかについてまではわかりませんが、あの福沢諭吉も

『改暦論』という本を出版して改暦の正当性を説くなどして援護してい

たのです。


カレンダーの語源は帳簿」


カレンダーは何故「カレンダー」と呼ぶようになったのでしょうか。


英語では「calendar」と書きますが英語も多くはラテン語から派生して

いて、どうやらカレンダーという言葉は元々は「calendarium=帳簿」と

いう言葉からきていると思います。


現在で言えばカレンダーと帳簿は全く別のモノですが、当時、ロー

マでは税金を払ったり、借金を清算したりする日を月初めに定めて

いて、「帳簿を更新する日」を「calendae」と呼んでいたんだそうです。


「もうその表自体がカレンダエって名前で良くない?」


あくまで想像ですが、こんな会話を繰り返しているうち、暦そのもの

ことをカレンダエと呼ぶようになって、英語では「calender=カレンダ

ー」と呼ぶようになったのです。



4,000年以上の歴史を持つ「曜日」の概念


現在世界で普及しているカレンダーには日曜日から土曜日までの曜日が振

り分けられていますね。


当然のように刻まれているこの曜日という概念は一体どこからきたと思いますか?



古代バビロニア「7曜」の神々


紀元前2,000年前にメソポタミア文明のひとつとして栄えた古代バビロニ

アという国で作られた粘土板に、7つの神様についての記載があったそうです。


太陽神、月神、火神、水神、木神、金神、土神と、様々なものに神が宿っ

ているとされていたと思います。


メソポタミアの神話はギリシャ神話などと違ってあまり現在まで浸透して

いるわけではありません。例えば、金神とされているのは「イシュタル」

という女神で、中には『ギルガメッシュショ叙事詩』などで目にしたことがある

方もいらっしゃるかもしれませんね。


土→日の順番はこうして決まった|「プラネタリーアワー説」


古代バビロニアで考えられていた七曜の神について、エジプトやローマ

にも広く浸透していたと思います。


そして、エジプトやローマでは、それら7人の神が1時間ごとに神が交代で守

護してくれるという「プラネタリーアワー」という考えがあったそうです。

そして1日の一番初めの一時間を担当する神がその日一日を支配している

と考えられていたと思います。


天体の動きから惑星は地球から近い順番に「土・木・火・日・金・水・

月」であると考えられていましたが、その順番に、一時間ごとに神々が代わる

といわれています。

このメインの神の周期を並べると、24時間で一周するために3つずつズレ

ていって、現在のように「日・月・火・水・木・金・土」という順番になっ

たと言われています。


こういった流れが『ローマ史』という歴史書に記されております。実は

真偽のほどはわかっていません。曜日の起源をバビロニアとするかエジプ

トとするかローマとするかについては様々な説がある様ですね。





日本でも浸透した曜日の概念|中国から伝わった『宿曜経』


西洋の様々な考え方や技術が日本に入ってきたのは鎖国が説かれてからで、

曜日の概念なんて日本にはなかったのではないかと思われがちです

が、実は日本では平安時代(794年ごろ)から一度も間違うことなく正確に曜

日が刻まれているようです。


というのも、弘法大師(別名:空海)というお坊さんが当時の中国である唐と

いう国に渡ったとき、一冊の本を持って帰ってきました。メソポタミア

で考え出されたものがインドや中国を経てまとめられた「七曜の神が宿る

教え」という意味の『宿曜経』という本のようです。


こういった海外の宗教などは当時は密教として煙たがられていましたが、

この七曜に関しては何故だか貴族の間でもよく使われていて、

そのおかげで日本でも曜日の概念は長く浸透していたと思います。


              また次回お楽しみに! 峰不二子



同じカテゴリー(プライベートお休み)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
コラム カレンダーの歴史
    コメント(0)