コラム  節分

  節分の歴史と由来、そして住まいのしつらえ


節分の起源

現代人にとって節分は、「豆を撒いて鬼を追い払う日」であると同時に「恵方巻を食べる日」ですね。

恵方巻はコンビニエンスストアなどのPRで、近年になってから広がった感があると思いますが、

鬼を追い払う行事としての節分の歴史は古いようです。平安時代の宮中行事である「追儺

(おにやらい)」が起源とされていることのようです。

平安時代、追儺は12月の大晦日に開催され、方相氏と呼ばれる鬼役が手下役の役人を引き連れ

宮中をまわり、役を払うものでした。方相氏とは鬼神のことで、金色に光る四つを持った朱色の衣装

を着て盾と矛を持ち、いかにも恐ろしい風貌をしていると思います。当初はその姿を持って悪鬼を

祓う善神で、9世紀ごろになると悪鬼と見なされるようになり、弓矢でもって追われるようになってしまった

ようです。鬼は疫病を象徴していて、鬼の姿をした疫病を弓矢で追い払うことで、病気の流行を封じ込め

ようとしたことのようです。


豆まきは、もともと中国明時代の風習のようです。日本に伝わったのは室町時代、年男が

「鬼は外、福は内」と言いながら、炒った豆を撒く行事だと思います。

また、地方によっては節分を「年取りの日」と言って、この日に一つ年を取ると考えていたようです。

そのため、年の数だけ豆を食べるという風習が生まれたと思います。

 

一年に四回ある節分


では節分とはいったいなんだと思いますか?暦の上での節分は農作業の目安となる「雑節」

の一つで、立春や立夏、立秋、立冬の前日、つまり季節のはじめの日を指すと思います。

だから本来は、年に4度訪れるものだとわかると思います。この日は季節の分け目に当たるために、

古来厄除けなどのさまざまな行事が行われてきたことのようです。

それではなぜ、春の節分だけが残ったのでしょうか?この日が一年の初めと考えられていた

ようです。現代人にとって年の初めといえば新暦の1月1日で、昔の人々にとっての年初めは


・冬至

・旧暦の1月1日

・春の節分

の3通りあったようです。


冬至は太陽の力がもっとも弱まる日で、復活する日でもあり、太陽の運行を重要視

すれば、年の初めとなると思います。また農作業に従事する人々にとっては春を一年の初めと

するのが自然なので、春の節分を年初めとみなしてきたと思います。そして暦上の年初めは

1月1日ですね。また、春の節分は大寒の最後の日にあたるので、寒い日が多く病気にかかり

やすい季節でもあるため、厄除けの儀式が重要視された一面もあるようです。今でも春の節分

には、各地の神社やお寺などで節分会が開催されるので、参加してみるのも良いと思います。




節分のしつらえ


節分の日には煎り豆を用意するほか、ヒイラギとイワシの頭を玄関に飾りますが、

これは追儺とは関係なく既に平安時代から始まっていた風習で、ヒイラギのトゲ

が目に刺さって鬼が近寄れないようにする意味があり、イワシの頭は、その臭気に

驚いて鬼が逃げるからと言われているようです。


また本来、ヒイラギと並んで節分に欠かせなかった植物は桃の枝のようです。桃は

厄除けの力があり、中国では不老不死の実であると考えられているようです。日本

にも中国の思想が輸入され、例えば「なぜ死者の世界と生者の世界が隔てられているか」

を説明する神話に桃は厄除けの神として登場することのようです。


日本最初の夫婦はイザナギとイザナミの二柱ですが、イザナミは火の神を産んだ火傷が

元で命を落としてしまうようです。愛する妻の死を嘆き悲しんだイザナギが黄金の国を訪ねる

と、イザナミは「黄金の国は神様にお願いしてみますので、その間私の姿を見ないでくださいね」

と頼むことのようです。この約束を守ればなにも問題はなかったのですが、好奇心にかられた

イザナギは炎をともして腐った妻の死体を見てしまい、恐れて逃げ出すようです。

イザナミは恥をかかされたことに怒り、黄金の鬼たちを引き連れてイザナギを追いかけてきた。

もう少しで追いつかれそうになったときに、イザナギが髪につけていた髪飾りを放り投げると

ノブドウとなる。食い意地の張った鬼たちが夢中で食べているうちに逃げますが、また

追いつかれそうになり、今度は櫛を投げるとタケノコになったようです。また鬼たちが

わき目もふらず平らげているうちにイザナギは逃げるが、黄泉と現世の境目あたりでまた

追いつかれてしまうようです。そこでそこに生えていた桃の実を投げつけると、鬼たちは

散り散りに逃げたようです。ちなみにこの神話の中で桃は「意富加牟豆美

(おおかむづみ)と呼ばれ、神様として扱われているようです。

この後イザナギは二つの世界の境目に大きな石を置き、自由に行き来できないように

してしまったと書かれているので、桃は最大にして最終手段的な、厄除けの果物

だとされていると思います。


また、ヒイラギや桃の枝のほか、ニンニクやネギを吊るす地方もあるようです。



豆はなぜ炒るのか


なぜ大豆を撒くのかについてはさまざまな説がありますが、「魔を滅する」から

「魔滅(まめ)」になったという説が一般的だと思います。

また、なぜ炒るのかというと、こんな昔話あるようです。

昔人を食べる鬼がいて、困った人々は神様に泣きついた。

そこで神様は「この豆から芽が出たら人間を食べて良い。もし出ないうちに人間を

食べたら罰を与えるぞ」と鬼に豆を渡したそうです。

「たやすいこと」と、畑に豆を撒いた鬼ですが、いくら待っても芽がでません。

なぜならその豆は炒ってあったから。この後鬼が人を食べることはなくなった

と伝えられています。

そこで、節分で使う豆は必ず炒らなければならず、もし万が一撒いた豆から芽が出た

ら、鬼・・・・・・すなわち病魔に襲われると考えたそうです。


また、五行で見ると「金」にあたる鬼に、「水」にあたる豆は弱い。そこで「火」を入れる

ことで鬼より強くするのだとする説もあるようです。



また恵方巻の起源は大阪の船場で、この日に海苔巻きを食べる風習があったと伝えられて

いるそうです。

節分の夜その年の歳徳神が坐する「恵方」に向かって太巻きを丸かぶりすると願いが叶う

と言われているようです。



節分は暦の上でも大切な日。豆まきは古い歴史を持ち、節分には病気を追い払うつもり

で豆まきをしてみてはいかがでしょうか。


                また次回おたのしみに!  峰不二子


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